05/島に辿り着くまでの旅/キューバへの旅

大学も卒業が近くなると多くの学生は卒業旅行をする。そのとき僕は訳あって卒業することはできないが、同期は三月に卒業を迎える。そこで学部、学科が同じで日頃大体一緒に過ごしていた三人と卒業旅行に行った。行き先はキューバ 。僕ら4人は理系で世界史に特別強いわけではなく、キューバの歴史、文化に詳しいわけでもない。擦られすぎた話だが、どこに行くかではなく誰と行くかの方が大事だろう。一緒に行く仲間に申し分ないので、要するに行くところはどこだっていいのだ。4泊5日の旅行である。

二月の夜、4人のうちの3人でメキシコ経由でハバナにある空港についた。もう1人はモスクワ経由で次の日にハバナに到着し合流する。事前に東京のキューバ大使館まで行って発行した、紙一枚のビザで入国した。空港の外にある両替所で両替したのち、タクシーで予約しておいた宿に向かった。

キューバにはホテルの他に、一般の家で、空いている部屋を宿泊施設として貸し出しているCASAという民泊があり安く泊まることができる。

夜中22時も過ぎた頃CASAに到着したが、どうやら僕らがこの日宿泊することが伝わっていなかったようだった。キューバは停電が多くインターネットも安定していないからと言っていたが、本当のところはよくわからない。

結局その日は、たまたま空いていたダブルベッドとソファのある部屋に、少し安い価格で泊めてもらえることになった。キューバの夜は湿気が多くベタついていて風通しの悪い部屋は、雪の積もった札幌からきた僕たちにとって心地悪かった。

2日目の朝、CASAで朝ごはんを食べた後、もう1人の友人と合流するまでハバナを散策した。

ハバナは植民地時代の名残か、レトロな建造物が並び綺麗な町並みだ。それに至る所でクラシックカーが走っている。もちろん普通の車も走っているが、1950年代のアメ車やソ連時代の車をいつでも見ることができる。現代とは思えない不思議な光景だった。そして無視することができないのは、革命家の存在である。革命広場はもちろんのこと、街中でもお馴染みのチェ・ゲバラやフィデル・カストロの顔が書かれた壁を幾つも見つけることができ、それだけ国民に影響を与え愛されていることがよくわかる。

僕らは、レトロな外観の革命博物館へ向かった。館内は観光客や学生で案外賑わっていた。博物館の展示物は英語で示されているが、今回の旅行のいつもと違うところは友人がいるということで、そのうちの1人に帰国子女がいる。いつもなら自分でなんとか読んで理解した風に誤魔化してきたが、仲間に1人英語が話せるやつがいると、なんとなく不安要素がひとつ潰された感があり、それ以上に、日本語に直して通訳してくれるので色々と理解が捗った。改めて、英語喋れたら海外旅行での楽しみも大きくなるんだろうなと、見せつけられた。

CASAに戻り、ロストバゲージをして小さなバッグひとつ持った友人と合流し、ようやく4人が揃った。日本から遠く離れたキューバのインターネットのない環境で待ち合わせができるなら、心配することはないだろう。モスクワでロストした荷物は、ハバナ観光案内所の優しいおばさんが電話で話をつけてくれたおかげで、後日CASAに届いた。

3日目、観光の中心地を離れ、歩いて革命広場へと向かって歩いた。ショッピングモールや映画館など観光地とは違った飾らないキューバの生活を少し見ることができる。旅行中あまり意識することはなかったが、キューバは社会主義国である。よく考えれば街中に広告はないし、乞食もいない。道を歩けば配給所を見かけ、国民には葉巻も配給される。どうやら最低限の暮らしは保障されているらしい。それでもCASAを出るときに、もう一泊していかないかと強く言われたり、街で話しかけられた男に、各自に配給された葉巻を、普通より安く売るから買わないかと言われたりした。どうやら僕ら観光客からの収入は大きいらしく、無理に売り付けてきたりするようなことは全くなかったが、稼ぎたいということがひしひしと伝わることが何度かあった。

広い革命広場で写真をひととおり撮った後、ローカルバスでハバナ市街へと戻り、また街を練り歩いた。葉巻を売っている薄暗い店、ヘミングウェイが通った店、お土産店、食料品店。海外旅行は1人で行くことが多く、1人なら気が休まらなかったり、何かしらの小さい不安を抱えていることがあるが、こうやって友人といつものように話しながら歩くだけで、とても楽しかった。

4日目の早朝、手配したアメ車に乗ってビニャーレス渓谷に行った。ドライバーはブルースウィルス似で英語は話せないようだった。前日に観光案内所で手配したときには英語が話せるドライバーだと聞いていたが、アメ車に乗れたので細かいことは気にしない。2時間ほど高速道路を走って到着したビニャーレスは、ハバナとは違ってレトロな建物は一切なく田舎町のような風景が広がっている。ここにはコーヒー農園、葉巻農園があり見学をしにきた。僕らに喫煙者はいないが、キューバと言えば葉巻だろう。タバコの葉を乾燥させる小屋を見た後、乗り心地が悪い馬車に乗って園内を回った。あたりは見晴らしのいい畑が広がっているだけで、これといって何かあるわけではないが、のどかで落ち着く景色だ。農園での説明はもちろん全て英語だが、こっちには通訳さんがいるおかげで、わざわざ英語のリスニングをすることなく楽しめた。

ビニャーレスからの帰りにアメ車が故障したのか、嘘みたいにボンネットから薄く煙が出てきたが、ブルースがボンネットを開けてものの数十分で直し、いつもの事のように走り出した。

その日のうちにハバナに帰り、川の向こうにある要塞群へローカルバスで向かった。2019年はハバナ市が創設して500年らしく、カバーニャ要塞では多くの若者が集まっていて、要塞の外でも移動式の遊園地があったり、出店が並んでいてお祭りのようだった。

カバーニャ要塞からはハバナを一望することができる。夕暮れ時のハバナは、広く赤く染まる空がとても綺麗だった。

島に辿り着くまでの旅(6)〜キューバへの旅〜

2020年2月3日 旅に出るまで

大学も卒業が近くなると多くの学生は卒業旅行をする。そのとき僕は訳あって卒業することはできないが、同期は三月に卒業を迎える。そこで学部、学科が同じで日頃大体一緒に過ごしていた三人と卒業旅行に行った。行き先はキューバ 。僕ら4人は理系で世界史に特別強いわけではなく、キューバの歴史、文化に詳しいわけでもない。擦られすぎた話だが、どこに行くかではなく誰と行くかの方が大事だろう。一緒に行く仲間に申し分ないので、要するに行くところはどこだっていいのだ。4泊5日の旅行である。

二月の夜、4人のうちの3人でメキシコ経由でハバナにある空港についた。もう1人はモスクワ経由で次の日にハバナに到着し合流する。事前に東京のキューバ大使館まで行って発行した、紙一枚のビザで入国した。空港の外にある両替所で両替したのち、タクシーで予約しておいた宿に向かった。
キューバにはホテルの他に、一般の家で、空いている部屋を宿泊施設として貸し出しているCASAという民泊があり安く泊まることができる。

夜中22時も過ぎた頃CASAに到着したが、どうやら僕らがこの日宿泊することが伝わっていなかったようだった。キューバは停電が多くインターネットも安定していないからと言っていたが、本当のところはよくわからない。

結局その日は、たまたま空いていたダブルベッドとソファのある部屋に、少し安い価格で泊めてもらえることになった。キューバの夜は湿気が多くベタついていて風通しの悪い部屋は、雪の積もった札幌からきた僕たちにとって心地悪かった。


2日目の朝、CASAで朝ごはんを食べた後、もう1人の友人と合流するまでハバナを散策した。

ハバナは植民地時代の名残か、レトロな建造物が並び綺麗な町並みだ。それに至る所でクラシックカーが走っている。もちろん普通の車も走っているが、1950年代のアメ車やソ連時代の車をいつでも見ることができる。現代とは思えない不思議な光景だった。そして無視することができないのは、革命家の存在である。革命広場はもちろんのこと、街中でもお馴染みのチェ・ゲバラやフィデル・カストロの顔が書かれた壁を幾つも見つけることができ、それだけ国民に影響を与え愛されていることがよくわかる。
僕らは、レトロな外観の革命博物館へ向かった。館内は観光客や学生で案外賑わっていた。博物館の展示物は英語で示されているが、今回の旅行のいつもと違うところは友人がいるということで、そのうちの1人に帰国子女がいる。いつもなら自分でなんとか読んで理解した風に誤魔化してきたが、仲間に1人英語が話せるやつがいると、なんとなく不安要素がひとつ潰された感があり、それ以上に、日本語に直して通訳してくれるので色々と理解が捗った。改めて、英語喋れたら海外旅行での楽しみも大きくなるんだろうなと、見せつけられた。

CASAに戻り、ロストバゲージをして小さなバッグひとつ持った友人と合流し、ようやく4人が揃った。日本から遠く離れたキューバのインターネットのない環境で待ち合わせができるなら、心配することはないだろう。モスクワでロストした荷物は、ハバナ観光案内所の優しいおばさんが電話で話をつけてくれたおかげで、後日CASAに届いた。


3日目、観光の中心地を離れ、歩いて革命広場へと向かって歩いた。ショッピングモールや映画館など観光地とは違った飾らないキューバの生活を少し見ることができる。旅行中あまり意識することはなかったが、キューバは社会主義国である。よく考えれば街中に広告はないし、乞食もいない。道を歩けば配給所を見かけ、国民には葉巻も配給される。どうやら最低限の暮らしは保障されているらしい。それでもCASAを出るときに、もう一泊していかないかと強く言われたり、街で話しかけられた男に、各自に配給された葉巻を、普通より安く売るから買わないかと言われたりした。どうやら僕ら観光客からの収入は大きいらしく、無理に売り付けてきたりするようなことは全くなかったが、稼ぎたいということがひしひしと伝わることが何度かあった。

広い革命広場で写真をひととおり撮った後、ローカルバスでハバナ市街へと戻り、また街を練り歩いた。葉巻を売っている薄暗い店、ヘミングウェイが通った店、お土産店、食料品店。海外旅行は1人で行くことが多く、1人なら気が休まらなかったり、何かしらの小さい不安を抱えていることがあるが、こうやって友人といつものように話しながら歩くだけで、とても楽しかった。


4日目の早朝、手配したアメ車に乗ってビニャーレス渓谷に行った。ドライバーはブルースウィルス似で英語は話せないようだった。前日に観光案内所で手配したときには英語が話せるドライバーだと聞いていたが、アメ車に乗れたので細かいことは気にしない。2時間ほど高速道路を走って到着したビニャーレスは、ハバナとは違ってレトロな建物は一切なく田舎町のような風景が広がっている。ここにはコーヒー農園、葉巻農園があり見学をしにきた。僕らに喫煙者はいないが、キューバと言えば葉巻だろう。タバコの葉を乾燥させる小屋を見た後、乗り心地が悪い馬車に乗って園内を回った。あたりは見晴らしのいい畑が広がっているだけで、これといって何かあるわけではないが、のどかで落ち着く景色だ。農園での説明はもちろん全て英語だが、こっちには通訳さんがいるおかげで、わざわざ英語のリスニングをすることなく楽しめた。

ビニャーレスからの帰りにアメ車が故障したのか、嘘みたいにボンネットから薄く煙が出てきたが、ブルースがボンネットを開けてものの数十分で直し、いつもの事のように走り出した。
その日のうちにハバナに帰り、川の向こうにある要塞群へローカルバスで向かった。2019年はハバナ市が創設して500年らしく、カバーニャ要塞では多くの若者が集まっていて、要塞の外でも移動式の遊園地があったり、出店が並んでいてお祭りのようだった。
カバーニャ要塞からはハバナを一望することができる。夕暮れ時のハバナは、広く赤く染まる空がとても綺麗だった。


最終日、昼過ぎまでまたハバナを散策した後、タクシーで空港へ向かった。
僕ら4人は空港で別れた。1人はこれから1ヶ月ほど南米へ、もう2人はメキシコに飛んだ。キューバは数ある旅行先のひとつにすぎない。そして僕は就活をするために日本に戻った。

島に辿り着くまでの旅となっているが、今回は旅ではなく旅行である。それは友人と一緒に行ったからかもしれないが、そうでなくても、大きな目的もなく海外に行くことは、もう旅ではない。もちろん旅行はすごく楽しい。それでも、ちょっとした冒険がしたくて、次の旅先を探す。